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東京地方裁判所 昭和25年(合わ)136号 判決

被告人 河野賢次郎

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、第一、(一)昭和二十四年十月頃、東京都目黒区下目黒一丁目五番地吉田和三郎方に於て同人所有の鉈一挺(時価二百円相当)を窃取し、(二)同二十四年十月頃、同都目黒区下目黒一丁目五番地大川弥方に於て大工秋山某所有の白ズツク製運動靴一足を窃取し、(三)同二十五年一月八日頃、同都渋谷区伊達町七十七番地菅野治記方に於て同人所有の黒革製半長靴一足(時価千五百円相当)を窃取し、(四)同年二月十一日頃、同都渋谷区伊達町七十二番地無職浅井己之吉方に於て同人所有の鉈一挺(時価百円相当)を窃取し、(五)同年二月十一日頃、同都渋谷区伊達町七十三番地会社員水上己春方に於て同人所有の金槌一挺(時価五十円相当)を窃取し、(六)同年二月十一日頃、同都渋谷区伊達町七十一番地銀行員根本実方に於て同人所有の紺ダブル背広上下一着、海老茶色オーバー一着、五球スーパーラヂオ受信器一個、出刃庖丁一挺、エンジ色ネクタイ一本、ウール地マフラー一本、(時価合計五万二百円相当)及現金一万五千円を窃取し、(七)(イ)同年二月十一日頃、同都渋谷区伊達町十二番地税務代理士山片清四郎方に於て同人所有のゴム長靴一足(時価九百円相当)を窃取し、(ロ)同年四月初頃、右山片清四郎方に於て同人等所有の黒ズツク製運動靴二足、アサヒ印地下足袋一足、鉞一挺(時価合計八百五十円相当)を窃取し、第二、昭和二十五年四月八日午後九時三十分頃、東京都目黒区下目黒一丁目十番地焼跡に於て立話中の会社員高山武(満二十七年)、同佐藤一枝(満二十四年)に対し所携の出刃(昭和二十五年押第一五二三三号中証第一号)を突付け「騒ぐな」「金を出せ」と脅迫の上、右高山所有の現金約七百円及衣料切符、名刺等在中の茶色革製二ツ折札入を強取し、第三、昭和二十五年一月二十一日午後十時頃、東京都品川区上大崎長者丸二百六十四番地先疎開跡に於て密会中の上田光雄(満二十五年)、鈴木利子(満二十五年)を襲い、之を殺害しようと矢庭に所携の鉈(昭和二十五年押第一五二三三号中証第十五号)を振つて右上田の前頭部を一撃し、更に鈴木の後頭部を一撃したが、右上田にはその前頭部に全治迄約三週間を要する挫創、鈴木にはその後頭部に全治迄約四週間を要する挫創を与えたが、右殺害の目的は之を遂げず、第四、孰れも金品を強取し之を殺害しようと企て、(一)同年三月十五日午後十時頃、同区上大崎長者丸二百六十三番地地主吉田幸三郎邸内空地に於て密会中の堀口一郎(満三十二年)、高田波津(満三十八年)を襲い、右両名に対し所携の出刃(昭和二十五年押第一五二三三号中証第一号)を突付け「金を出せ」と脅迫し、高田が之を拒絶するや矢庭に右出刃を同女の頸部に突刺し失血等により即刻死に致し、(二)同年四月九日午後九時四十五分頃、東京都目黒区三田五十四番地大倉邸焼跡附近の通路上に於て密会中の露木利夫(満二十七年)、田中多美(満二十九年)を襲い、両名に対し所携の前記出刃を突付け「金を出せ」と脅迫し、露木が之を拒絶するや矢庭に右出刃を振つて之に切付け同人の右頬部に全治三週間を要する切創を負わせ、更に逃げようとした右田中に迫り同女の右頸部に右出刃を数回突刺し失血等により即刻之を死に致し、(三)同年四月二十二日午後十時頃、渋谷区景丘町十一番地加計塚小学校々庭の一隅に於て密会中の藤井玻(満二十年)、相田栄子(満二十一年)を襲い、両名を校庭南寄プール附近に連れ行き、其のバンド、ベルト等で之を後手に縛りあげた上、右出刃を相田の頸部に数回突刺し失血等により即刻死に致し、右藤井から現金三十円等を強取したものである。」というのである。

よつて按ずるに、当裁判所が審理した結果によると、被告人が各公訴事実記載のとおりの犯行をなしたことは一応これを認めることができる。

しかし、鑑定人林[日章]、同村松常雄作成の被告人に係る各精神鑑定書並びに証人村松常雄の当公判廷での供述を綜合すると、被告人は分裂病質の型に属する生来性々格異常者であるが、遅くも昭和二十四年初め頃から精神分裂病(破瓜病)に罹患し、本件各犯行当時は病勢悪化によりその症状が増悪し、衝動性の亢進、高等感情、道徳感情の著るしい鈍麻等を来たし、関係、被害等の妄想に支配され、それに関聯する幻聴も存し、本件各犯行はいづれも右症状に基く病的衝動行為または幻覚、妄想の支配による病的行為と認めることができる。

もつとも鑑定人塩入円祐作成の被告人に係る鑑定書には「一、被告人は元来ヒステリー性格を加味した分裂病質性の精神病質者である。これに犯行前より徐々に分裂病(病型は類破瓜病)が発病し来つた可能性が大である。従つて犯行時に於ては類破瓜病の状態であつたか、或は少くともそれに近似の精神病質に基く異常心理状態にあつたものと推定される。二、被告人は鑑定時精神的原因(恐らく刑罰えの恐怖、更に拘禁)より発したガンセル状態(仮性痴呆)にあつた。本病は詐病的傾向が顕著であるが詐病ではない。」との記載が存し、同鑑定人は被告人に右の如きガンセル状態(仮性痴呆)の出現していることは重い分裂病の存在することを否定するものであること等を理由として被告人を限定責任能力者と解しているのであるが、前掲林、村松鑑定書(証言を含む)と対照して考察すると未だ前記認定を覆すに足る心証は惹起しない。

なお、検察官は村松鑑定でその基礎となつている資料殊に被告人またはその近親者等の供述の信頼性については限界のある旨主張し、その主張が一般論として傾聴すべきものであることは論を俟たないところである。しかし、本件においては、被告人が犯行後間もない昭和二十五年六月二十一日東京拘置所に収容され爾来勾留されて居り、この間同年十二月二十日より昭和二十六年七月二十五日までは林鑑定人、同年十月十七日より同年十二月七日までは塩入鑑定人によつて夫々関係病院等で鑑定のため診断を受け、また昭和二十七年八月十四日より昭和三十一年四月十二日まで勾留執行停止により東京都松沢病院に入院していたため、右昭和二十五年六月二十一日以降の被告人の行動については拘置所係官等による観察、林、塩入鑑定書及び松沢病院の病床日誌等の客観的資料が存し、村松鑑定はこれ等の資料を基礎として近親者等の供述の信頼性を十分検討した上なされたことが明らかである。

また、検察官は、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書にその供述として「強盗をするのに二人連を狙つたのは二人連は大体淋しい処を歩いており脅して金をとるには都合がいいと思つたからである。」その他の記載のあることに鑑みると、被告人の犯行には計画性と熟慮性が認められるから、被告人を心神喪失者と認めることは相当でない旨主張する。しかし、この点については、限定責任能力を主張する、塩入鑑定においても、「犯行が計画的且つ熟慮的であるか否かという問題は、犯行の一斑のみから結論さるべきでなく、まして供述調書のみによつて断定すべきではないのであつて、被告人の人格を審かに調べ、その病態をよく究める時には、この犯行は正常人の意味での計画的なるものとかなり相違する。」として居り、被告人の場合には正常人の意味での計画性も熟慮性もこれを認めることが出来ないものであることが明らかであり、また村松鑑定(証言も含む)によると、相当病勢の悪化した精神分裂病者でも表面的にはかなり計画性のある行為をなす可能性が存し、この一事のみによつては病勢の判定はなし難く、本件においては、たとい右の如き表面的に計画性のある行為があつたとしても、被告人が精神分裂病に罹患し犯行当時病勢増悪の時期にあつたことは否定し得ないことが認められる。

更に本件に顕われた各証拠を綜合しても前記認定に支障を来たすものはない。

然らば、被告人の本件各犯行はいづれも刑法第三十九条第一項にいわゆる心神喪失の状況のもとになされたものと認めるのを相当とするから、刑事訴訟法第三百三十六条前段に則り被告人に対しては無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 八島三郎 西川豊長 新谷一信)

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